暗闇を信じてもいい。

愛しちゃだめです!!!(自戒)

待人:くるともおそし

舞台「明るい夜に出かけて」の感想及び考察その②である。こちらでは全体的な部分・原作と舞台の相違や個人の変化、とかそこら辺を書きたい。もーっと私情は別であげます。(多分)

 

 

 

 

題について(読み飛ばし可◎)

どうしてもネタバレを踏みたくなくて、踏まずにいられる自信がなくて、意地で初日に赴いた。ほんとに意地だけで。ちゃんと生きてた自信はないですけど、結果一度もネタバレを踏まずに済んだわけで。後から年始のおみくじを思い出した。待人:くるともおそし これってチケットのことだったのか?

 

初日の私は舞台観れるかもわかんなくてはじめて行く下北沢は怖くてたまらなくて心拍数が終わりになってた。ずーっと。少し早くついちゃって、待ってるとかできないからウロウロしてた。落ち着きたいなと思ったけど近くに公園とかないしカフェに入るほどの時間もないし、ほんとに私生きてるのか?と思いながらひたすら待っていた。舞台観終わったら大分っていうかもうほんとに緊張してたなんて嘘だろってくらい落ち着いてて駅前の路上ライブも愛おしく感じられた。明るいなぁって

 

セットの話

ステージ上に並ぶのはたくさんの棚。コンビニの棚でみんなの部屋の棚で、本屋の棚で、服屋のラックで、教室の壁・ロッカーに窓、もしくは心の壁にもなる。

久々に触れた舞台作品がミュージカル『手紙』だったからなんだか懐かしい気持ちだった。『手紙』観た時も舞台装置面白いなって感想があった。大きな箱の骨組みが檻だったり部屋だったりしてた。

“棚”以外には椅子とラジオブース。が、随時出てくる。椅子ってパイプ椅子なんだけどギュウギュウだからおもしろい。

 

人なのかわからない謎のやつ?

感情喋ってくれたりする。人が作る演出って好きだから面白い。人、のはずなのに何処か無機質な舞台装置の一部なこともあれば今回みたいに人の心の中だったり、あるいはただのエキストラだったり。物語をより豪華にというか分かりやすく?伝わりやすくするために人を使うっておもしろいなーと。

 

原作と舞台

初見後に原作を読んだ。すぐ後に2度目の観劇。そこまでの感想。久しぶりに小説読んだら5時間くらいかかった。読み方忘れてて泣いた。元々下手くそで1ページ10分かかることもあったししょうがない。

舞台の方が私向き。かなと。違うところなんてたくさんあって、世界観?みたいなところだと、振り返りの方にもありますが舞台の方がよりネット寄りだなと感じました。鹿沢がネットに対していうセリフは原作にはないから。(ありました)パンフ読んで、舞台の世界はアルピーannしてた頃とおんなじ時間を生きてるんだなと思ったけど、原作読んでから舞台見ると、舞台の方はアルピーannの時代も“今”もどっちも生きている。芸術って時代で文化。(終わりがけ?今も13歳の少女が〜的な文章今度ちゃんと調べたい)→こちら2014年のニュースでした香港で民主化を主張する17歳少年。

あと、舞台にはTwitterとかの細々した説明がないのもよかった、だってその世界にずっと住んでて言われなくても知っているから。知っていることを説明されるのって、へぇそうなんだと言う気持ちとつまんないと言う気持ちが闘って空にいる気がする。ヤな人間だからえぇー?って言いたくなっちゃうし、だからなくて良かった。(知らないことだとしても大体は、説明なければ知ってるふりしちゃうし…)

キャラクターは、原作の方がみんなが生きてるのかな。原作読んだら、結構みんな寄り添いがいのあるキャラだと思った。人間味も強いかもしれない。舞台では富山以外のキャラが少し控えめにつくられていて、富山が目立つようになっている、と思う。ミミさんは設定追加が多いけど(立ち飲み・開業)。あ、佐古田はそのまま!

舞台よりも原作を先に知ってる世界線も知りたいなやっぱり舞台の方が好きだなって思うのかな。

 

ノゾエさーん!!

ノゾエさん、ノゾエさんの書く富山、もっと知りたい。内容全体かなりわかりやすいなと思ったのが初見の感想で、「分かんない」と思うことがあっても少し考えればなんとなくは分かった気になれて、いい塩梅だなーと思いました。(早口)(誰)

多分演劇にあんまり触れてない人も見るって分かって作ってるんだろうなとなんとなく思いました。

構成的には多分富山の思い出を見てる感じなのかな。そしたら富山視点にぐーっと寄ってるのもそうか、と思う、かも。

はじめの侍従川河口の場面、、どうして初めに持ってきたんだろう。わ、わかんなくなってきた、。だって「おまえここで生まれたの?」で始まるんだよ。作中の1番「明るい夜」な部分ってことかなぁ。でも1番言いたいことか。自分の作ったものから他の誰かが、全く新しいものを作るってこと。“全く新しい”なんだよ。

歌に続くの好きだよみんな並んで歌って演劇とかあんまりたくさん知らないけど小劇場ぽいってこういうことかなと思うシーンのひとつ。

なんかすごく今野のための舞台だったのかもしれない。だから私は今野のこと好きなだけですごく素敵に見れたのかもしれないとか思ったけどわかんない!!

 

東京楽後ですが追記させてください!!ここに書きたくて…

原作使って物語を必死に追いかける作業をずっとしてて、それで原作をなぞるとなんとなく違うと思うところはあれどちゃんとおんなじなんです。どういうこと?って思うと思うのですが、舞台の演出見て、もしかしてこういうことか!?って思ったことが原作に全部書いてある。舞台を自分の中に落とし込んでから原作読んだらまた楽しめるかもなと思った。

 

あとラジオドラマの話

リアタイしてたはずなので聞いちゃった!!(当時菅田annを楽しみに1週間生きていた)でも覚えてたのミミさん突き飛ばしちゃうのと「例の如く、ヤバくなった」だけだった。ここ覚えてんならもっと覚えてんだろーって思うけど抑揚強いところが結構カットされててびっくりするほど叙述的。寝落ちしたはずだから覚えてなかったのかなとちょっと思った。かなり原作と近い、台詞・流れコミで。(舞台の方は説明とか回想が原作と違う位置だったりする。)原作と1番違うのはアルピーannの出待ちに行くところ。ラジオドラマではこのシーンがメインになるのかな?やっぱり“ラジオ”ドラマだから、ラジオの部分が強く出てる。物語は色々削った結果社会復帰的な要素として出待ちって風になったのかなと思うけど舞台より(なんなら原作よりも)外に視野が広くて行動的な富山だった。卑屈さは舞台より強いけど。他のキャラクターも全然違って見えるし面白い。ミミさんもラジオドラマだと999.9知ってるのはちょっと違和感だった。(舞台は知ってて欲しかったよと思ったけど)

あとやっぱり5年前だから、原作読んだ時も思ったけどそれなりの、その時の?時間を感じるなと思った。

 

結論

「明るい夜に出かけて」孤独を感じたことのある人みんなに見てほしいなー!!!(どこに書いてありましたっけ)孤独って感じるのは、寂しいって感じるのは、明るさを知っているからだよ。

1人でも大丈夫って人はほんとにいるんだろうけど少なくとも私は違うから、こういう明るさが好きになった。

 

 

 

 

富山、初日と比べたら鹿沢と仲良くなってたから公演終わる頃には接触恐怖症も無くなってるかもしれない(ない話)

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

なんかどうしようもなく逃げたかったのが去年で今はもうただ前を向いていたい、それが生きることとある種結論づけた状態で観劇できたのとても良かったと思う。比較的安定したメンタルで見れたから同意の気持ちが強すぎなくて済む。私の逃げたい、は富山みたいな事件なんてなかったけど。
劇中富山と同い年なんだよね。

↑どうでも私情ってこの話です。(あがるかわかんないけど)