暗闇を信じてもいい。

愛しちゃだめです!!!(自戒)

そんなに明るくない日のこと

明るい夜に出かけて大千穐楽から1年以上経った。この1年、たびたび富山のことを思い出しては胸ポケットの内側に隠す日々だった。
(大学生でスーツなんか着ないのに) 

ちょうど、豪徳寺に素敵な邸宅があり、展示会を行なっている話を聞いた。どうせ私のことだから約束でもないと行かない!と思って予約取って行ってきた。

リベンジだ。
豪徳寺駅にはその名の通り豪徳寺という寺がある。本多の期間中行こうかと話にあがることもあったが時間がダメで、行けなかった。だからリベンジ、今度は絶対に行くのだ。
私は街が好きだから、大きく呼吸をしてゆっくり歩く、それだけのことを楽しみたい。

当日、どうせならと周辺で詰め込んだ予定にハラハラしつつ15時過ぎに豪徳寺駅に着いた。豪徳寺の方面に行き、入り口がわからなくて敷地を半周。お寺に来るのはかなり久々な気がする。線香を素通りして参拝の手順怪しくて冷や汗。豪徳寺の名物はなんと言っても招き猫で、駅前にも大きな招き猫がいるがお寺はもっとすごい。大小の白い招き猫が棚にずらっと並んでいる。意外と怖くなくて不思議だった。写真撮ってる人ばっかだったけど。調子に乗って自撮りしたりした。楽しかったです、招き猫かわいくて。せっかくだから小さい子を買えないかなと思いもしたが、寺務所が15時までで時すでに遅し。他人の奉納品ばかり撮るのも申し訳なくなりそそくさと退散。境内を見回すと素敵な藤棚がありました。

そしてようやく、今回豪徳寺へ来る足がかりとなった旧尾崎テオドラ邸へ。喫茶室と展示の予約をしていたのでまずは喫茶に案内された。ケーキティーセットを注文した。ポットで出てくる紅茶ってなんかすっごく嬉しい。ここでなんとか富山のことを思い出して(今まで考えてなかったのか?という話ですが)空を見つめた。

リア恋という感情がある。今野大輝に抱くことはないのに、富山一志にだけは、なぜかそのような気持ちを持っていると思う。架空の人物なんだけどね?歳が近いからかな…

正直なところ、富山一志に浸るぞ〜〜と思いではいたものの対バン(SODAさんありがとう)後にきてしまったがために今野大輝さんにメロメロでそれどころではない。(ほんとは先週くらいに来ようと目論んでいたもののストアの予約忘れて延期。)だから予約した時の方が富山のこと考えてた。私はいったいいつの富山を思っているのだろう…?とか。どうしても実体がない気がして不安な気持ちになっているメモが残っていた。
「富山一志」の実家は豪徳寺にある。昨年の「明るい夜に出かけて」から続けて時間が進んでいるのならば復学して一年を過ごしたことになっているし、ちょうどこの春から佐古田も同じ大学に入学したというところだろう。この1年富山はどう過ごしたのだろうか?と疑問に思い、私個人は何も変わっていないつもりでいたことに気付き不思議な気分になる。好きなこと、できてるといいなぁ。私の知らない1年、どこにもない1年。なんだか寂しい。
ふと、原作の頃の富山は今頃結婚していたりするのだろうかと道路で見た家族を思い出す。富山の恐怖は治るかもしれないし特に変わらないかもしれないけど、近くに佐古田がいて金沢のみんなを時々思い出して、なんて生活してるといいなと思った。
リアコだなんだと言っているが呆れるほどのパラレルワールドで、今回予習不足なのもあるかもしれないが富山がこの街にいるって感覚があんまりだった。具体的には豪徳寺での生活の想定があんまりできなかった。
退館して少し街を歩くと小さな公園とかおもちゃ屋さん、和菓子屋さんがあってなんだか馴染みの良い街だと思った。なんとなく、自分が生まれ育った街を思う。ちょっと似ている気がした。
小学生くらいの子供もたくさん居て世田谷ってこういう街だよなーとか感じた。
夜までいようかと思ったけどぼーっとしちゃいそうだから帰宅。

 

富山一志の像はぼんやりしたままで、とてつもなく特別に感じていたのはきっとほんとうじゃなくて、舞台で見たのは知らない人間の日常・思い出だから、きっとすれ違ったって気づかない。ただの一般人でしかないはずで。

私が好きだと思っていたのは、きっと思い込みにすぎない。ただなんとなく、同じ時間を過ごしているという思い込み。丁度おんなじ年齢で、おんなじ温度感で、おんなじ時間軸で、そんなのを共有して生きたかったというだけなんだろうと思った。想像の中で生かすことができなくなってしまった私にはもうできないことだ。思い出の中の富山一志はずっと金沢に住んでいる頃の姿のまま、一生大学2年生になんてならない。