暗闇を信じてもいい。

愛しちゃだめです!!!(自戒)

DADDY

忘れないうちに、少し思ったことのメモ書き

 

嶺亜さんの歌声

昨年11月のシンドバッドぶりに嶺亜さんの歌声を生でちゃんと聴いた。個人的な感想としてはシンドバッドの時も思ったより歌上手いという感想で、でもDADDYの嶺亜さんはその何倍も綺麗に歌っていた。ダイジェストでも少し聞けるので時間があれば聴きに行ってほしい。ミュージカルらしい歌い方と嶺亜さんらしい歌い方と上手い具合に混ぜ込んで素敵に仕上げていると思う。(音楽の専門家ではありません)

 

客席に子供がいる舞台

子供、本当に「0歳から見られるファミリーミュージカル」というキャッチコピーの通り結構いた。前の席の子供は虹の振りを全部知っていたし、子どもが笑いそうなところで子どもらしい笑い声が響いた。オバケが出てくるシーンでは泣き声が聞こえてきた。ちゃんと怖いんだと思うとなんか微笑ましさすら感じた。返答する子どもには会えなかったけど、新鮮でおもしろかった。子どもに関しては無感情というか、街で見かけてもまあ健やかに育ってくれよくらいが最大感情。でも少しは肯定に寄ったかな?結局は無ですが…(最大感情もほぼその子の親の居心地が悪くならなきゃいいの気持ちでしかないため)

 

子供はたくさんのことを教えてくれる

そう思う人の気持ちがわからなかった。子供は何も知らないんじゃない?むしろ教える側じゃなきゃいけない、と思ってた。でもミュージカルみて中川さんの話聞いたらなんとなく分かるなって気持ちになれた。同意するかは別ですが。

 

中川さんってDADDY…?

結局この人が全部のDADDYなのかもしれない!って思いながら見てた。別になかったし出てくる人達のDADDYとは違ったけど。

 

常識とか普通

いろんなことに対する概念みたいなものって、小さい頃にどれだけ触れたかなんだと思う。DADDYには「人魚と恋に落ちて魚の子供たちを愛しているダディ」や「ダディとダディの夫夫」が出てくる。それを当たり前と思って育った子供たちはそういうところに向かう差別を理解できないだろう。私は小さい頃に外国の人とか色々な人たちと沢山会っていた。そのこともあって、かは分からないが、学校に入って先生に「障害を持っている人にも普通に接しましょう」と言われた時の“普通”にひどく疑問を感じた。そんな言い方するってことは普通でないことがあるってこと?普通は“普通”じゃないってこと?って。その後から私は普通がわからなくなってどう接すべきかわからなくなった。肺の動きを意識したら呼吸しづらいのと一緒。教育という観点で子供の頃の柔軟な脳を持っているうちに教えることは効果的だと思う。ただ教育のためには伝えるだけじゃダメで、その後の大人たちの常識をいかに変化させ、それが本当に普通になれるのかというところこそ大事だと思う。普通に疑問を持つともう元には戻れないから。もちろん時代の変化に合わせていつかは変えなきゃいけないものなんでしょうけど、子供時代に疑念を抱かせるのは悪だと思う。(教育の専門家でもなんでもありませんが)

 

音楽たっぷりだし、生バンドいるから子どもの歌のメロディの良さみたいなのがすごーい分かる。あ、こんなにいい曲なんだってびっくりした。1番沁みたのは着ぐるみの3人がオバケと戦うとき。わちゃわちゃしてただけなのになんだかんだ思い合ってるんだなと思うとほっこりじんわりした。明るい夜とは違う暖かさに包まれたミュージカルだった。